寛容であれ

最近の私は、以前と比べると急速に寛容になってきたと思う。

ここ2か月ぐらいで気持ちの在り方が前進したことを感じる。

何しろ、それまではメッセンジャーに初見の人から営業のメッセージが書き込まれたら、即ブロックしていた。

そして、相変わらず営業のメッセージは毎日のように来る。

そこで、ブロックした人が相当な数になるのだろうと思い、今までのブロックの総計はどのくらいになったのか調べてみた。

そしたら、ざっと1000人近くになる。

ただし、ブロックした中には、営業ではなく、性的なメッセージやスパムメッセージ等の理由でブロックしたことも多々ある。

ここ1か月、とくに3月の後半くらいから私も温和な方針に切り替えた。

というよりも、マインドブロックが自然に壊れて心の中から自然に寛容になっていったようだ。

フェイスブックのタイムラインを見てみると、日常の怒り、嫉妬、事件や社会問題に対する批判が数多く書かれている。

その人たちの気持ちは分からなくはない。

世の中の社会問題は、倫理、道徳に合わない理不尽なものばかりであり、私もそのほとんどが納得できないものばかりだ。

しかし、そんな理不尽な出来事は繰り返し毎日絶えず起こっているし、

それにいちいち反応していたのでは、自分の感情がその都度かき乱され、

自分の行動にマイナスの影響を与え、ひいては自分の人生がネガティブな人生となる。

つまり、世の中の不条理な出来事は、例外なく自分にとってマイナスの影響しか及ぼさない。

この意見に反論する人もいるだろう。

こんな不条理は、人情として心からの正義として、許しておけないものであり、それに対して怒るのが普通である。

自分たちの住む地域や社会を良くしたいと思い、ネットで発言するのは当然だろうと。

だが、よく考えて見てほしい。

いかに国民や地域住民の立場からネット上で批判、論説して見たところで、解決には至らない。

かといって、同じ意見の人々を動員して社会活動やデモをしてみたところで、世の中は1ミリも動かないし動かせない。

それに、そういう社会活動は時間とお金を消費するばかりか、時によっては命の危険にも遭遇する。

私は、個人的な意見であるが、そういう行動する方々のマインドとはまったく歯車が噛み合わないし、1秒も関わりたくない。

人生は、親から与えられた1回限りのものだ。どんな親であろうとも命を、人生を与えてくれたのだ。

社会問題は、批評家、ジャーナリスト、学者たちに任せておけば良い。

話の筋が少し逸れてしまったが、個人の怨恨、嫉妬から社会問題、政治問題まで
すべからく同じ性質のものであり、

私は自分の人生をそれらの出来事に消費したくない。

だから、普段のニュースもヘッドラインと内容を簡単に見て、こういうことがあったとの認識にとどめてそれ以上深入りしない。

そういうことに一切感情を動かされたくないし、ネガティブな気持ちを発生させたくない。

元の話に戻るが、メッセンジャー等に営業やスパム的なメッセージが来ても、まったく反応しないようになった。

つまり、全てに対して寛容な態度をとることができ始めているというわけだ。

世の中の雑音や人々の感傷は、すべてシャットアウトするとともに、どんな人や状況に対しても寛容になる。

それが、長い目で見て自分の人生を豊かにし、成長を促進してくれると思う。

私は、人々の喧騒をよそに、頂上の見えない成功という高い山を毎日少しずつ登っている。

追記
富士山麓は、桜が散り始め、新緑の季節になって来ました。とても気持ちの良い季節ですね。

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