3月3日は家出記念日

今日は珍しく私の過去を暴露します。

3月3日は私が2000年3月3日に、とある地方都市から家出した「家出記念日」。

家出に至った経緯や歴史は大変な量なので、今日は割愛します。

そして、問題は家出してから、私がどのような目にあったのかを書きます。

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まず、友人宅にお願いして居候し、お金を得るために泥水をすする毎日を、東京都心の、とある有名繁華街で働き始めた。

その後、友人から独立し、最安アパートを自分で借り、それでも夜の仕事は続けるしかなかった。

不安定な収入なので、ときどき資金繰りに困り、毎月25万円を借りて、別のところに25万円返して、という地獄のラットレースを続けた。

ある日、お店が終わって自転車でアパートに帰る途中で、通り魔に襲われた。

自転車から転び、顔面と手に重傷を負った。顔面と手が血まみれで救急車で運ばれたが、助かった。

相手が刃物を持っていたら、死んでいただろう。私が自転車から倒れる寸前に逃げていく犯人を見たが、20歳くらいの男性だった。

結局、犯人は捕まらなかった。それで私はバキバキに剥がれた爪は無事に治ったが、アゴの骨が変形してしまった。

そこで、知り合いの紹介で美容整形の医師を訪れ、アゴの整形手術を受けた。

ところが、数日経って夜もうなされるような激痛が止まらなかった。顔が膨らんでしまっていた。

先生に診てもらい、先生は血がたまっているとのことで、注射で血抜きをしてもらったところ、血ではなく、膿(うみ)だった。

先生は、これは危険な状態なので、本院である大阪まで今日中に来てくれと言われ、急きょ大阪に行くことになった。

大阪へ行く新幹線の中で、傷口は開きっぱなし(膿の原因が嫌気菌のため)だったので、傷口をガーゼで抑えて止めていたのだが、

出血が止まらず、ガーゼがダメになり、新幹線の中で乗務員に血が止まらないので、ティッシュをくださいとお願いしたくらいの出血だった。

なんとか意識がもうろうとしながらも、大阪につき、急きょ手術が行われた。

なかなか重傷で、膿を完全に取りきるのに2週間もかかり、手術は必要の都度行われた。

この時死にかけた。全身麻酔を何度も短い期間で投与されていたので、記憶もなく、脳細胞もやられて術後に一時言葉を失った。

しかもその後、アゴに傷が残ってしまったので、先生は今までかかったお金を全部返してくれた。

私はその時泣きました。お金いくらかかってもいいから、アゴの傷が残るのは嫌だ。と。

願いは叶わず、アゴに傷が残った。

その後、退院し、それでもまだ夜の仕事を続けて行くしかなかった。

そのうち、精神がおかしくなって来て、ものすごい鬱(ウツ)になり、精神科医に診てもらった。

ところが、そこで飲み始めた薬が、とても強い薬で、飲み続けたところ、遅発性ジスキネジアという神経障害になった。

その神経障害になった時、医師に一生完治することは難しいと言われた。

パーキンソン的な症状で、体のあちこちがこわばったり、固まったりする。

目は片目しか開かない。口や顔は歪み、食べ物もうまく咀嚼(そしゃく)したり、飲み込んだりできない。

喉もガラガラ声で、しかもうまくしゃべれない。呼吸は意識しないと無呼吸になる。

しかも、体がこわばるので、歩き方がぎこちない。歯はいつもギリギリ噛む状態が続いた。後日歯科に行った時に歯が擦り切れているので驚かれた。

この時点で私の人生は終わっていた。

だが、もう、涙の一滴も、出なかった。

この時に私を救ってくれたのが、今の夫当時は彼)である。

辛いなら、俺んちに住むか?と言ってくれたのである。

私はすでに、働ける状態ではなかった。
廃人同様だった。

私は二の句を継げず、ありがとうと言った。

しかし、私は信じられなかった。こんな無償の愛が世の中に存在するのか?あっても良いのか?と。偽善ではないのか?

あまりの優しさに、気がつくと涙が止まらなかった。どれだけ泣いても泣き続けた。

その後、彼と同居を続け、衣食住は彼が面倒を見てくれた。

その後、約2年が経ち、なんと奇跡的に神経障害が治って来た。

担当医師もこれには驚いていた。しかも私がニューヨークに行きたいと言った時にいいよと言ってくれた。

ところが、ここで彼が慢性腎不全となり、人工透析を生涯必要となる身体障がい者になってしまった。

それでも、彼は、俺は行けないけど、1人でニューヨークに行っていいよと許してくれた。

なんて優しい人なんだろうと私は感動して頭がおかしくなりかけた。

ニューヨークに4週間いる予定だったが、ニューヨーク在住の友人の予定の都合が変わり、私は急きょ日程を変更して、ロサンゼルスにいる友人に会いに行くことになった。

ニューヨークから空路だと5時間でロサンゼルスについてしまう。これはつまらないと思い、陸路でアムトラックを乗り継いで行くことにした。

無事にロサンゼルスにつき、友人にもロサンゼルス市内を車で案内してくれた。なんて優しい人なんだろうと思った。

そして、成田空港に帰って来た。ともかく無事に日本に帰って来れた。単身で陸路で北米大陸横断、4週間で30万円でおつりがくる安旅だった。

その後、帰って来てから私は見違えるように行動した。今度は私が彼に恩返しする番だ、と。2012年のことである。

まず、人工透析で具合の悪い彼を当時すんでいた築地のマンションから、山梨の富士山麓にある彼の自宅に一緒に引っ越した。

同時に私は自力で会社を設立し、車も買い、起業した。そして、彼にプロポーズを受けた。私は断るどころか喜んでハイっと言った。

その後、彼が心不全で冠動脈バイパス手術を受けたり、肺炎になり入院したりと苦労の連続で、その度に私は絶望し涙を流した。

そして、去年2016年、私はある先生に出会ってフィリピンに行き、セミナーを受けた。このスクールで私は一気にレベルが上がり、現在に至る。

以上、全部実話です。ノンフィクションです。

すべては、17年前の2000年3月3日に私が家出した因果から来た現在です。

私は今本当に幸せです。
幸せを感じることしかできません。
今まで出会った人、そして夫に感謝しています。

ありがとう!
感謝してもしきれないです。

追記
実は、ここに書いた以外にも数多くの苦労と言うかエピソードがあるのですが、あまりにも長くなりすぎるので、割愛しました。

書いたエピソードにもそれぞれ色々なお話がコッテリとあるのですが、長くなりすぎるので、これらもすべて割愛しました。

自動代替テキストはありません。

 

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