良いも悪いも呑み込んで生きていく
- 2018/9/13
- 柴田コラム

綺麗事を言う人が増えていますが、生きていく上では綺麗事だけでは生きていかれません。
綺麗事すなわち論理的で倫理的な正義や正論のことですが、
世の中を見渡せば、正義や正論よりも理不尽や悪行の方がまかり通っています。
それは個人のチカラではどうしようもないことです。
社会の構成員である国民性が原因であったりもするからです。
なので、決して理不尽や悪行を認めるわけではありませんが、
見て見ぬ振りをする、
あるいはグッと感情をこらえることも上手に生きていくのに必須です。
いわゆる見ざる、聞かざる、言わざるです。
言いたいことが何も言えない社会なんてと嘆く人がいますが、
別に何も言わなくても主張しなくても良いのではないでしょうか?
それが自分の実害となるものであれば別ですが。
要するに、良いことも悪いことも飲み込んで生きていくということです。
そんな自分の理想的な社会なんていつになっても現実になりませんよ。
古代ギリシャの時代から多くの哲学者や思想家が一生懸命人間の理想を探してきました。
しかし現代まで2500年かかっても人間は変わっていません。
これからも人間社会は多くの問題や矛盾をかかえたまま変わらないでしょう。
それは人間が人間であることの証明でもあります。
だったら、そういう矛盾や理不尽な社会でどのようにうまく生きていくのか?
いかに楽しく生きていくのか?を模索した方が最適かつ合理ですよね。
一度しかない意外と短い人生ですから、楽しんだもの勝ちでしょう。
だからネガティブには目をつむり、ポジティブだけで生きていく。
これしか道はないはずです。
成功したり自由人になりたいのならば、なおのこと言えると思います。
柴田ありさ