脱テレビ論

私がテレビを見なくなったのは、2013年からです。

それまで、東京に住んでいてテレビもちょくちょく見ていました。

ところが、山梨の山奥に移住してからはずっとテレビを見ていません。

引っ越しの時にテレビを売ったというわけです。

直接のきっかけは引っ越しですが、その他にもテレビを見なくなった理由があります。

第一に、テレビを見る時間がもったいないと感じるようになったことです。

例えば、好きな時刻に好きな時間だけ見ることができるインターネットの動画とは対照的です。

60分番組なら、60分見続けなければなりません。

インターネットなら好きな時間に休むことができます。

第二に、テレビはインタラクティブではありません。

つまり、情報のベクトルが双方向ではないということです。

何か好きな番組を見ていても、こちらが意見を言いたくても何もテレビの向こう側の相手に伝わりません。

インターネットならば、意見や感想を書き込むことができます。

インターネットの向こう側の方からのリアクションがあることもあります。

第三に、テレビの内容が私にとってつまらなく、かつ役に立たない番組がほとんどであることです。

バラエティ番組やドラマ、ワイドショーが多すぎるということです。

何しろ、人様の醜聞にはまったく興味がないので、私にとっては無味乾燥な番組がほとんどです。

もっとも、ニュース専門番組で24時間世界中のニュースが流れていたり、

根拠に基づく教養番組がいつも放送されているのなら別ですが。

第四に、テレビより興味のある、他の好きなことがあることです。

私がこうしてブログを書いたり、SNSでは発信したりするなど、

テレビ以外にやりたいことがいっぱいあるからです。

そもそもテレビを見る必然性が皆無であると言えるからです。

第五に、テレビの大衆性に染まりたくないことです。

テレビは国民の99%の大衆に向かって受けが良い内容で作られています。

民放では、さらに番組制作者側はスポンサーの営業方針にそぐわない発言はできません。

これは資本主義では当然ですが、今書いていることはそういう資本主義の本質についてのことではなく、

私が言いたいのは、大衆思考に染まった番組の内容やそこでの表現にストレスを感じるのです。

そういう思考に染まってしまうことはないと思うのですが、洗脳されてしまうかもしれません。

もちろん、インターネットにおいても自分の好きな検索ばかりに偏りが発生し、自ら洗脳してしまう恐れもあります。

ですが、それは自分でコントロールできるはずです。

特に放送時刻に縛られないインターネットはいつでも視聴や検索をやめることができますが、

テレビはダラダラと見続ける恐れがあります。

これは間違いのない真実であると昔から思っています。

2012年の秋に山奥に引っ越してきてからは、引っ越しをきっかけにテレビを見なくても情報には不自由していません。

これが20年前ならば、そうは行かなかったでしょう。

今は、2018年です。

山奥まで光ファイバー網が敷き詰められています。

本当に幸せな時代を生きていると言えます。

私はインターネットが自由に使える幸せを噛み締めて感謝しなければならないと思います。

ありがとうございます。

追記

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