何事もさじ加減が大事
- 2018/5/31
- 柴田コラム

なんでも言えることですが、とにかく実益をなさない極端な言動や立ち位置は良くありません。
何をするにしても言えることです。
(今からいくつか例をあげますが、誤解をしていただきたくないのは、
私はその例を挙げた人々の価値観を否定したり、その価値観を持つ人の言動を否定するものではありません)
例えば、ミニマリスト。
必要最低限の持ち物だけで生活する人のことです。
もちろん、誰だってミニマリスト的な側面は持つべきであるし、
家や部屋の中が不必要なものに囲まれて生活するのは、生活する上でデメリットが多く、不適切であると言えます。
しかし、ミニマリストを目指すあまり、いざという時に必要なものが無い状況になっていてはそれはモノを減らしすぎと言えます。
また、便利な生活をして豊かさをベネフィットとすべきところ、強迫観念的にモノを減らす行動ばかりするのも目的と手段が入れ替わってしまっています。
モノが少ないことが目的ではなく、家や部屋の中にいつも便利に効用を高めてくれるモノがあったり、いざという時の必要なモノを常備しておくのは極めて大切なことです。
というのは、旅行やホテル住まいならともかく、自分の家や部屋の中で何か危急な事態が起こった時に、必要なモノは置いておく必要があるからです。
いわゆる非常時のモノです。
下手をすると命が助かるか落とすかの分岐点となります。
例えば、大地震での復旧の見込みのない停電や断水等が起こった時にどうしますか?
もちろん、地震の被害のない場所にいずれ脱出するとしても、何日か家や部屋に閉じ込められたりするわけです。
その場合、飲料水や食料、電灯等が必要ですし、ティッシュペーパーやトイレットペーパーも必要です。
トイレも使えませんから、携帯トイレも必要です。
そんなの逃げれば良いと思われるかもしれませんが、大地震ではどのような状況に遭遇するのかは予想ができません。
いつもうまく逃げられるとは限りません。
うまく逃げられず、必要なモノも無かったらそれは「死」です。
ケガをしたり体調が悪くなる可能性も十分にあるので、一定の常備薬等も必要です。
電気がなければ、どんな高級なエアコンも、どんな万能な扇風機も一切使えませんからね。
ですから、家や部屋の中がさっぱり綺麗なのは、単なるミテクレが良いだけで、実益からはほど遠いと言えます。
何しろ、いざという時に役に立つものが全然ないわけですから。
大地震等災害は、忘れた頃にやってきます。
そんなことは知っているよと思われるかと思いますが、おそらくこのコラムを読んだ5分後には忘れていると思います。
さて、ミニマリストのことだけで少し長くなりましたが、ほかにも例はあります。
例えば、ビーガンです。
簡単に言えば、ビーガンは肉、卵、牛乳等動物由来のモノを一切食べないという人です。
私は医学部や薬学部出身ではありませんが、どう考えてもどう調べてもどう勉強しても、栄養バランスが良くありません。
確実に「ビタミンB12」が欠乏します。
「ビタミンB12」をサプリメントで補えば大丈夫ですが、そんな知識をビーガンの人が知っているでしょうか?
それにしても極端な生活と言えます。
私はビーガンはほとんど宗教だと思っています。
というのも動物を食べるのはダメで、植物を食べるのが良いという極端な偏りからそう言えるのです。
植物だって動物と同じ「生き物」です。動物と違い、動けず、声を出せないだけです。
ひょっとしたら人間の聞こえない声を出しているかもしれないし、心や魂だってあるかもしれません。
なぜ動物をあやめることは許されず植物をあやめることが許されるのでしょうか?
まったく論理性を欠いています。
ですからビーガンは宗教と言えるわけです。
私だって食事をいただく際は、「いただきます」と言っていただいています。
この場合、いただきますとは、命をいただきますという意味です。
感謝の念を持って食事を残さずいただけば、食事の内容が動物でも植物でも許してくれるはずです。
ミニマリストとビーガンのほかにもいくつか例はありますが、長くなりますので、思いついた時に再説したいと思います。
以上のように、極端な言動や立ち位置は実益がないばかりか、デメリットが多すぎます。
何事もさじ加減が大事です。バランスですね。
さじ加減を極端に間違えて行動すると、「死」が近づくだけです。
人間も動物ですので、いつかは死にますが、わざわざ自分から「死」に近づく必要はないと言えるわけです。
どんな両親から生まれたとは言え、1回きりのかけがえのない命と人生を与えてくれたのですから、
自分の命を大切にして生きることこそ、親が子を思う心に沿ったことであり、1番の親孝行であるはずです。
それをわざわざ自ら自分の命を短くするベクトルに向けて生きているのは、いかがな生き方だと思うわけです。
今回のこのコラムの内容はとても深く、人間が人間であるがゆえに陥っている状況を指摘する内容です。
重要なことですので、今後も折に触れて語っていきたいと思います。